ヤン・シュヴァンクマイエル(Jan Svankmajer) |
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1934年 | | 9月4日 チェコスロバキアのプラハで生まれる |
1950年 | | プラハの工芸高等学校、小劇場科に入学 |
1954年 | | プラハの芸術アカデミー演劇学部(DAMU)人形劇科に入学 |
1960年 | | 結婚 仮面劇団をプラハのセマフォル劇場で立ち上げる |
1962年 | | セマフォル劇場で初の個展「ドローイングとテンペラ」開催
セマフォル劇場からラテルナ・マギカへ仮面劇団とともに移る |
1963年 | | 長女ヴェロニカ誕生
プラハのヴィオラ画廊で個展「オブジェ」開催 |
1964年 | | 初映画「シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック」制作 |
1965年 | | 映画「J・S・バッハ、G線上の幻想」「石のゲーム」制作 |
1966年 | | 映画「棺の家」「エトセトラ」制作 |
1967年 | | 映画「自然の歴史(組曲)」制作 |
1968年 | | 映画「庭園」「部屋」制作 |
1969年 | | 映画「ヴァイスマンとのピクニック」「家での静かな一週間」制作
シュールレアリズム・グループのリーダーと出会う |
1970年 | | 映画「コストニツェ」「ドン・ファン」制作
エヴァと共にシュールレアリズム・グループのメンバーとなる |
1971年 | | 映画「ジャヴァウォッキー」制作 |
1972年 | | 映画「レオナルドの日記」制作 |
1973年 | | 「オトラントの城」制作準備中、映画製作の禁止を命じられる |
1974年 | | 最初の触覚オブジェ「修復家」製作
その後、集中的に触覚の実験を試みていく |
1975年 | | 長男ヴァーツラフ誕生
論文「未来は自慰機械のもの」執筆 |
1977年 | | 西ドイツのゾネンリンク・ギャラリーで「子供の欲望」夫妻展を開催 |
1979年 | | クラトキー・フィルム・プラハのスタジオで「オトラントの城」完成 |
1980年 | | 映画「アッシャー家の崩壊」制作 |
1981年 | | ホルニー・スタニュコフの館を購入し、シュールレアリストの芸術博物館とする |
1982年 | | 映画「対話の可能性」「地下室の怪」制作 |
1983年 | | 映画「陥し穴と振り子」制作
触覚芸術に関する論文集「触覚と想像力」地下出版 |
1987年 | | 映画「アリス」完成
ベルギーのブリュッセルとトゥールネーで「隠された興奮」展を開催 |
1988年 | | 映画「男のゲーム」「アナザー・カインド・オブ・ラブ」制作 |
1989年 | | 映画「肉片の恋」「闇・光・闇」「フローラ」制作
ニューヨーク近代美術館で映画の回顧展 |
1990年 | | 映画「スターリン主義の死」制作
マーネスでシュールレアリズム・グループの共同展覧会「第三のアーチ」に参加 |
1991年 | | ヤロミール・カリスタと共にアタノル・フィルム・プロダクションを創立
フランスのアヌシー、ミュゼ・シャトーで「意味の汚染」夫妻展を開催
ベルギーのアントワープで個展「遊戯の法則」開催
スペインのバリャドリードで個展「想像力」開催映画 |
1992年 | | 映画「フード」制作
イギリスのカーディフとブリストルで「夢の伝達」夫妻展を開催 |
1993年 | | ウィーンで個展「夢の百科事典」開催 |
1994年 | | 映画「ファウスト」制作
スペインのシトヘスで「アナロジーの言葉」展に夫妻参加 |
1995年 | | アメリカ・コロラド州で「アタノル」夫妻展を開催 |
1996年 | | 映画「悦楽共犯者」制作
ロンドン、ワルシャワ、クラクフで「触覚、アルチンボルド、ヴァニタス」夫妻展を開催 |
1997年 | | プラハのヨゼフ・スデク画廊で「博物誌のキャビネット」夫妻展を開催
プラハのベセダ地区美術館で「饒舌な絵、無口な詩」展を開催 |
1998年 | | ヴィーホドチェスカー画廊で「アニマ・アニムス・アニメーション」夫妻展を開催
同名の大判モノグラフが刊行 |
2000年 | | 映画「オテサーネク」ヴェネツィア映画祭で公開 |
2004年 | | プラハ城ライディング・ホールで「フード」夫妻展を開催 |
2005年 | | 映画「ルナシー」制作
神奈川県立近代美術館で「造形と映像の魔術師 シュヴァンクマイエル」展を開催
エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー逝去 |
2006年 | | 吾妻橋 アサヒホールにて「アンダーカバー・ミーツ・シュヴァンクマイエル」展を開催
最新作「ルナシー」が日本公開 |