ディヴィッド・ホックニー(David Hockney) |
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1937年 | | 7月9日、イギリス、ブラッドフォードに生まれる。 |
1953年 | | ブラッドフォード美術学校に入学。 |
1960年 | | テイト・ギャラリーで開催されたピカソの展覧会に大きな影響をうける |
1961年 | | ロンドンの画商ジョン・カスミンと出会う。ギネス賞の一等賞を受賞。ジョン・ムーア展で青年部門賞受賞。エッチング<3人の王と女王>で得た賞金で、アメリカに旅行。ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ウィリアム・リーバーマンによって、エッチング2点がコレクションとして買い上げになる。
ニューヨーク滞在中に描いたスケッチやドローイングをもとに、エッチングの連作<放蕩者の遍歴>を制作する |
1962年 | | カミスンが画廊を開き、卒業年に制作されたすべての作品を購入し、ホックニーと契約を交わす。 |
1963年 | | パリ・ビエンナーレでグラフィック賞受賞。ロンドン・カスミン・ギャラリーで初の個展開催。作品は完売する。
年末、ニューヨークに生き、アンディ・ウォーホルやメトロポリタン美術館のキュレーター、ヘンリー・ゲルツァーラーと出会う。 |
1964年 | | ロサンゼルスに移る。ポラロイドの撮影、アクリル絵具による制作を始める。刷師のケネス・タイラー、デザイナーのシーリア・バートウェル、作家のクリストファー・イシャウッドらに出会う。第8回ルガーノ国際素描版画展で一等賞を受賞。ニューヨークのアラン・ギャラリー、ニューヨーク近代美術館で、アメリカにおける初個展を開催。 |
1965年 | | 第7回リュブリアナ国際グラフィック・アート展で受賞、買い上げとなる。ロサンゼルスの版画工房ジェミナイでカラー・リトグラフの連作<ハリウッド・コレクション>を制作する。 |
1970年 | | ロンドンのホワイトチャベル・アート・ギャラリーで、巡回回顧展「ディヴィッド・ホックニー絵画/版画/ドローイング:1960-1970」が開催される。 |
1974年 | | パリの装飾美術館で、回顧展「ディヴィッド・ホックニー絵画と素描」が開催される。
ジャック・ハザン監督によるフィルム「とても大きな水しぶき」が公開される。 |
1975年 | | ストラヴィンスキー作「放蕩者の遍歴」の舞台装置と衣装を手掛ける。 |
1977年 | | モーツァルト作「魔笛」の舞台装置と衣装を手がける。 |
1979年 | | 「ディヴィッド・ホックニー版画1954-77」がノッティンガム、ミッドランド・グループで開催される。 |
1980年 | | フランス3部作:サティ作「パラード」、ブーランク作「ティレジアスの乳房」、ラヴェル作「子供と魔法」の舞台装置と衣装を手がける。 |
1981年 | | ストラヴィンスキー作「春の祭典」、「ロシニョール」、「オイディプス王」の舞台装置と衣装を手がける。 |
1982年 | | ポラロイド・コラージュやフォトコラージュを数多く制作する。 |
1983年 | | 来日し、国際紙会議(京都)に出席。朝日講堂(東京)で写真について講演を行う。 |
1986年 | | テイト・ギャラリーで「ディヴィッド・ホックニー:ムーヴィング・フォーカス・プリンツ」展が開催される。
ロサンゼルスのスタジオで、オフィス用コピー機を使った<ホームメイドプリント>を制作する。
フォトコラージュ<ペアブロッサム・ハイウェイ>を完成。写真での実験が頂点に達する。 |
1987年 | | ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」の舞台美術を担当。 |
1988年 | | ロザンゼルス郡立美術館で大回顧展、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、テイト・ギャラリー(ロンドン)に巡回。 |
1989年 | | 第1回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。
ドローイングを制作し、AT&Tとキャノンのレーザー・ファックスで世界中に送信する。第20回サンパウロ・ビエンナーレに、ファックスを使用した作品を出品。モノクロのオフィス用コピー機を使って144項にのぼるマルチページ・ファックス・ピクチャーズを制作する。 |
1990年 | | アラスカやイギリスで撮ったスナップショットから、カラーレーザープリンタによる写真を制作する。
サンタモニカ山脈を主題にした油彩画のシリーズにとりかかる。
プッチーニ作「トゥーランドット」の舞台装置と衣装を、イアン・ファルコナーとともに手がける。 |
1995年 | | 愛犬スタンリーとブージーの肖像画を描きはじめる。 |
1998年 | | ポ大スケールの風景画を描きつづける。
60枚のキャンバスを使った油彩「ビッガー・グランド・キャニオン」制作。 |