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1959年に、カストロ、ゲバラらにより革命がおき、1961年に社会主義が宣言され、カリブ海に浮かぶ小国であるキューバ共和国は誕生しました。暮らしは貧しいが、陽気なエネルギーに満ちあふれた人々の中からルンバ・サルサが生まれ、グラフィックにも、その苦境をはね返す明るさが満ちあふれています。社会主義国であるキューバにおいては、商業ポスターは基本的には存在せず、その役割は、あくまでも、情報の伝達、告知です。ただし、その表現に関しては、反体制的でないかぎり、かなり自由なものであったことが伺われます。グラフィック中心で、中南米特有の大胆な色彩で制作されたポスターは、デザインとしての評価もさることながら、アートとしても欧米では評価され始めています。 |
ポスターは大きくわけて、プロパガンダ(政治的メッセージを伝える)・公共・文化(映画、音楽祭など)の三つに分けられます。特に映画のポスターはキューバ映画芸術産業庁(ICAIC)内の専属工房において、すべてシルクスクリーンによって制作されています。国際的にもその存在は大変有名です。 |
シルクスクリーンは、シルク・ナイロンあるいは針金などで織った布地(ステンレススティール)を枠に張り、その上に手工芸又は光工学的(写真的)方法で必要な画線以外の目を塞ぎ版膜を作り、これを版とします。次にインクをヘラ状のゴム板(スキージ)で力を加えながら枠の内側にのせれば、インクが版膜のない目の部分を透過して枠の下に置かれた紙に押し出されて作品ができ上がります。このような手法を代表的であった素材のシルクと版膜の意味であるスクリーンからシルクスクリーンと呼ぶようになりました。 もともとアメリカのポップアーティストであるアンディー・ウォホールが版画制作で利用したことにより表現方法としての可能性が注目されることとなったといわれ、現在では版画制作の代表的な技法の1つとなっています。 また、版自体の繊細さ、強度から、制作枚数は限られ、そこに作品の希少性を生み出してもいます。 |
キューバでもっとも多作で著名なデザイナーで、彼の作品はキューバのグラフィック界においてかかすことの出来ない存在です。1960年に初めて映画のポスターを制作し、それ以降のキューバ映画ポスターの新たな技法、デザインの潮流を作りました。 |
ハバナ大学で美術史学を専攻。1968年よりICAICで映画ポスターのデザインを手がけました。チェコスロバキア、イタリア、ポーランドなど世界各国で多くの個展を開催しています。 |
ハバナ大学で建築デザインを専攻。ICAICのポスター部門を設立し、デザインチームを作りました。彼のポスター作品はニューヨーク近代美術館(MOMA)、ポンピドゥー・センター、ロンドン・ナショナル・ギャラリー他に収蔵されています。 |
抽象画家。1965年よりポスターデザインを手がけます。雑誌のアート・ディレクターやアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ連帯機構(OSPAAAL)のチーフデザイナーを勤めます。 |
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